占術の違いが、占断の違いを生む
占いにも、セカンド・オピニオンは必要だと思っている。
占い師と言えども人間だから、
ある種のカラー(就いた師匠のカラーとか、本人の押し出しとか)で彩られた占断になりがち。
同じ占術で複数に占ってもらった方が、
占断の精度は上がる。
面白いなと感じたのは、
例えば算命学士には調舒星中心(で身強)の人が多い。
ブログで宣伝している人に…と言った方が正しいかもしれないけれど。
で、そんな人達にそれぞれ占ってもらうと、
調舒星らしく美文を効かせた長い返信や、毒をまぶした言葉を返してくれる(^^;;;)。
だからこそ、同じ答えにどれだけの意味野———イメージの幅があるかよくわかる。
結局、その中から、饒舌さを削ぎ落として
核心の占断を取り出して初めて、
自分に関するニュートラルな姿が掘り起こされる。
こんな風に、占術が同じ場合は回答の違いは擦り合わせが効く。
ところが、占術が違うと全く様相が変わって来る。
当たり前のことなのだが、
迷い悩み答えを求める方は、それでは困るのだ!
だから占いは当たらない!
とか、
占い渡り鳥になっては、どんな道も歩けない!
とか、
そんな批判はこの際捨てて、
人類が文化として抱えて来たこの占いというものが、
発祥の地が違い、方法が違うが故に占断が変わって来たとしても、
真逆のことを指しては意味がないではないか!
という立場に立って、
占断の補正が行えたら素晴らしいことだと考えている。
そう。どこかをなんとかしたら、同じ答え…とまで言わなくても、
同じ方向をさすように。
私は算命学では、
「母と別れたか、仲が悪かったのでは?」
「もしも同居することになったら、お互いいない振りをして」
などと言われた。
ところが、インド占星術では、
「お母さんとの相性がいい」「同居はお勧め」
と言われる。
実際は、母とは今は仲がいい。
が、大学入学まで同居している間は、口うるさくて閉口していた。…しかし、殆どの人が思春期から青年期ってそういうものじゃないだろうか?
問題は今後だ。
母と同居するのか、しないのか?
した方が良いのか、するとお互いダメになるのか…!?!
ああ、悩ましい。
もう一つ。
インドの文化を貪欲に何でも吸収して来たチベットは、
何故か占星術だけは、採用しなかった。
彼らは、後期密教経典『カーラチャクラ(時輪)・タントラ』(11世紀)に基づいた天文学と占星術を取り入れ、
以後、現代に至るまで六十干支に相当する十二支と五行の組み合わせを用いている。
これはなぜなのか???
論理学が発達した極めて明晰なチベット仏教を思うと、
何か不都合があったに違いない。
チベット占星術は、天文・暦学・医学院で学ばれるほど、精密で高度なものだから、
「ちょっと近所で」学ぶようなことは出来ないだろうが、
いずれはこの謎に挑みたいと思う。